お知らせ2

  「魂の写真家を目指して」 大塚典子


 十五歳の頃から、原因不明・治療不可能と言われる病気を幾つも抱えていた私は、自分の生きる意味をずっと見出せなかった。

 全身の耐えがたい痛みに眠れない日々が何年も続き、それ自体辛かった。が、何より辛かったのは、悩みを打ち明ける友人も作れず、「何も出来ない私が生きていても、何の役にも立てない」と、人生に夢も希望も持てない事だった。

 だが、数え切れないほどの絶望のどん底や、悩み苦しみを乗り越えて来た事は、全てが心の財産となった。
 DV離婚や、子供達の不登校も、私を理解し支えてくれた、今は亡き主人に出逢える為には必然だったのだ。
 度重なるパワハラ・リストラも、仕事中に頸椎損傷で全身麻痺になった事さえも、気分転換に主人が温泉旅行に連れ出してくれた時の撮影が 写真家を目指すきっかけとなって行った。

 写真を人に喜んでもらえる事が私の喜びになり、幸福となった。
 次第に「写真で人々の役に立ちたい」と思うようになり、「『生きる希望』を取り戻してもらえるような写真を撮りたい!」と願うようになった。

 持病を抱えながらも、一枚一枚、祈りと願いを込め、命懸けで撮影した写真が「魂に響く」と言って頂けるようになってきた。
 主人亡き後、写真のおかげで素晴らしい友人達にも巡り逢えるようになった。

 「生きていて良かった!」と心から感謝が溢れ出るようになった事への感謝を込めて、私は命ある限り、写真でお役に立ち続けたい。




  【あなたを待っている人が必ずいる】


 高校生の頃から何年も、私はずっと死にたかった。
 言わなくても母は分かっていたのだろう
 ある日母は私にこう言った。
 「世の中にたった一人でも、自分のことを全部分かってくれる人がいたら、生きていけるやろ?」と…。

 今、あなたに分かってくれる人がいなくても、あなたを待っている人は必ずいる。
 あなたのその苦しみは、必ず意味がある。
 その人に出逢えるまでその時までどうか、生きていて欲しい。どうか、生き抜いて欲しい。
 必ず『生きていて良かった』と嬉し涙があふれてくる日が来るから…。
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 私も高校生の頃から、『生きる希望』を失い何年も「死んでしまいたい」と思い続けた。

 私の場合は「原因不明・治療不可能」と医師達に言われ続けた全身の痛みや様々な症状に、寝られない日々が何年も続いたからだった。

 父の闘病生活で、我が家は経済的に大変な事が分かっていたから、余計に母に申し訳なくて、「私さえいなければ…」と思っていた。
 絶え間ない痛みに加えて、先の見えない絶望感に「死にたい」と思っていた事は、悲しませてはいけないと思っていたから、母にも相談することは出来なかった。
 「忙しい母の手伝いもしてやれない…。何も出来ない私に、生きる価値があるのか、生きていく意味があるのか…。」
 そんなことばかり思っていた。

 自殺の原因はいろいろあるだろうけれど、『生きる希望』を失うことがいちばん大きな原因ではないかと私は思う。
 そして、相談する人がいない事も…。

 大人になってもいろいろあった。
 DV離婚も経験した。
 長男は、小学5年生の時、担任の暴力を受けた。それからいじめが酷くなり、「生きていたくない」と、学校を休んだ。
 だがその後、教室以外への登校を強要され、更に学校側のあまりにも酷い対応が続いたので、6年生で不登校になった。(次男も自分で不登校を選んだ。)

 言葉に出来ないほど苦しい思いをしていたのに、学校側や周りから「母親が悪い」「子供が悪い」と追い詰められて「親子して死ななければならないのか⁉️」と思うほど辛かった。
 そんな時、長男が自殺未遂していた事を知った。
 それからは、「世界中を敵に回しても、我が子の生命を守るんだ‼️」と『生きる希望』を取り戻してやる為に、全てをかけて戦った。

 写真を撮る事で周りから認められるようになった長男は『生きる希望』と『笑顔』と『自信』を取り戻し、「人の役に立ちたい」「人と人との架け橋になりたい」と言うようになった。

 そして何年か前の長男の誕生日に、私が「誕生日おめでとう…。生きていてくれてありがとう…。」と言うと、 「母さん、僕を産んでくれてありがとう」と言ってくれた…。
 私は、長男からの言葉に胸がいっぱいになり、涙が止まらなくなった。

 子供達の不登校当時、私は不登校への理解を広げる活動もしていた。
 不登校の子供を抱えて「子供と一緒に死にたい」と嘆くお母さんからの相談には、
 「子供さんが学校に行かないのは、お母さんのせいではありません」
 「『悪いことは全部自分のせい』にする必要はないのです」
 「学校は生命をかけてまで行かなければならない所ではないのです!」と、(心の中で祈りながら)そのお母さんが笑顔になるまで寄り添い励ました。

 私がそうだったから、相談にのたった1本の電話で、『生きる希望』を取り戻してもらう為に、いつも全身全霊をかけた。

 そして、母が昔「世の中にたった一人でも、自分のこと全部を分かってくれる人がいたら、生きていけるやろ?」と言ってくれていた言葉を、人生で何度も何度も死にたいほどの苦しみを経験してきて実感した。

 子供達が不登校したおかげで、私は35歳の時、生まれて初めて『親友』に巡り逢えたのだ。
 支え合い、励まし合える『親友』に出逢えた事が、私の人生を変えてくれた。彼女のおかげで私の事を理解してくれる人に出逢い、再婚もできた。

 うつの薬を飲んでいた親友が『死にたい』と言う時には、私が寄り添い、何年もずっと彼女を支え続けてきたはずだった。
 ところが、2017年に主人が癌で緊急手術をした時から、闘病生活の間も、主人を亡くして後追いしたかった時も彼女がずっと心で寄り添ってくれた。
 優しく温かく…。
 天使のように…。
 女神のように…。
 私に笑顔を取り戻してくれた。

 支え続けてきたはずだった彼女に支えられてきたのは私だった。

 彼女に出逢えていなければ、今、私はこの世にいないかもしれない。
 彼女にはどれだけ感謝してもしたりない。

 FBで出会った海外の友人達から「何故日本では自殺する人が多いのですか?」とよく質問される。
 簡単に答える事は出来ないが、「何でも話せる『親友』が一人いれば、それだけで生きていける。」という事を私は実感している。
 そして、お互いに相談に乗れるのは、お互いに数え切れないほどの苦しみを経験してきたからなのだ。
 だから、人生には無駄はない。

 私を必要としてくれる人が一人でもいたら生きていけるのだ。
 「『こんな人がいたらなぁ…』と思ってもいなかったら、そういう人に自分がなればいい」と言ってくれた母の言葉も忘れられない。

 今では、全てのことに(DV離婚・不登校・セクハラ・パワハラ・リストラ・病気や怪我での生命の危機や介護等も…。)意味があったと感謝できる自分になれたことに感謝。
 「生きていて良かった」と嬉し涙があふれてくるまで生きてこられたことに感謝…。
 出逢いに感謝…。
 巡り逢いに感謝…。
 昔、毎日毎日「死んでしまいたい」と思っていた自分にタイムマシンがあったらこの事を伝えてやりたい。
 「大丈夫だよ!必ず『生きていて良かった』と思える日が来るからね!」
 「今は辛いだろうけど、苦しいだろうけど、とにかく 生きて 生きて 生き抜くんだよ‼️」と…。

 だから私は、今、『死んでしまいたい』と悩み苦しんでいるあなたに『生きていて‼️』と心の底から伝えたい。



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