新実存主義とは

実存主義に根ざした新しい世界観


 私はしばらく前から、宇宙の存在とか、人間の存在、特に、個人の人間が存在して、周りの生活空間や地球を含む宇宙の存在を認識しているあり方に、非常に不思議なものを感じています。感動と言っていいかもしれません。
 運動する分子の塊でしかない自分が、考えたり、ものを認識したり、こんな複雑な運動体として何十年も動き続ける。これはすごいことで、奇跡以外のなにものでもないと考えています。
 その自分の感覚があるから、世界が存在する。もし、自分の感覚がすべてなくなれば、すべてのものが消滅する。そんな、個人と認識のあり方の不思議さを、最近、特に思うようになりました。
 生物の進化の頂点に居るヒトという動物。そのヒトである自分。ヒトだから認識できる世界がある。他の動物には他の世界がある。他のヒトには自分とは違う世界がある。ヒトの数だけ、あるいは動物の数だけ世界がある。
 すべての動物にとって、<自分>が居なくなれば世界の何もかもがなくなる。自分が感じ、考え、認識することによって、<世界>は存在する。

 椅子に腰を下ろした状態で、目を閉じて、ゆっくり呼吸をして下さい。


 もし、その状態で感覚神経のすべてが、脳への伝達をストップしたとします。脳は何かを考えようとします。
 次に、その脳がすべての働きを停止したとします。どうですか。
 何もないですね。その状態がずっと続けば、あなたも居ないし、あなたを含めて、すべてのものもなくなっていますよね。この状態が永遠に続くのがあなたの「死」です。あるいは、この状態が一時的に起こっているのが、夢のない眠りです。これはいつも体験しています。
 逆に言うと、あなたが生きて、感覚神経と脳が働いているから、周りの生活空間や地球を含む宇宙、<世界>が存在するのです。
 あなたが居なくなれば、<世界>は存在しなくなる。
 自分という生物としての個体があって、生活空間を含めた<世界>が存在するのです。
 「ものがある」というのは、自分という生物としての個体が「もの」を認識することによって、「もの」が存在するということです。自分という生物としての個体がなくなれば、「もの」はすべて存在しなくなります。
 自分が居なくなるということと、他の人間が居なくなるというのは、全く違う事象なのです。近親者を含め、自分以外の人間がなくなっても、<世界>は存在し続けますが、自分がなくなれば、<世界>もなくなります。
 その自分の認識によってのみ、<世界>が存在する。
 これはヒトに限ったことではありません。ヒトは地球上では進化の頂点に居ますが、進化のそれぞれの段階に応じて、それぞれの動物に認識の仕方があります。その認識がそれぞれの動物の<世界>を作っています。
 自分がヒトである場合、<世界>は複雑ではありますが、他の動物の場合でも、それぞれの個体がなくなれば、その<世界>もなくなることには変わりありません。
 ヒト以外の動物の場合、進化の段階に応じて、「もの」に対する認識の仕方が違います。その認識がそれぞれの動物の<世界>を作っています。
 ヒトである自分の存在が奇跡であると同時に、他のヒトの存在もそれぞれの個体にとって奇跡なのです。ヒト以外の動物の場合、ヒトとは違う<世界>を作っていますが、それぞれの動物の個体にとって、個体の存在は奇跡であることに違いはありません。
 そういう意味で考えると、アリ一匹についても、個体として存在することそのものが奇跡であり、生き続けることで、アリが見る<世界>を作っているのです。そのアリが死ねば、そのアリの<世界>はなくなります。アリ一匹もそんな奇跡の、決してないがしろにできない存在なのです。

 38億年という膨大な進化の時間があって、自分というヒトが存在している。46億年前に地球が誕生し、138億年前に宇宙が誕生したと言われています。そんな、途方もない時間の後に、今、想像も出来ないくらい広大な宇宙の一点に地球が有り、そのまた一点に、ヒトという生物である自分が存在しています。
 自分がヒトだから、進化や地球、宇宙の誕生を考えることができるし、自分がなくなれば、<世界>がなくなるということを理解できる。
 ヒトという生物である自分が存在する不思議さを、感動をもって感じています。
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