キルケゴールの実存主義
『死に至る病』はキルケゴールの宗教的な実存思想がある種の完成を果たした主著であり、彼の著作の中で最も有名なものである。
ここでテーマとなっているのは、「絶望」と「自己自身」との関係である。
まずは、「絶望」がどのようなものなのかという点から見ていきましょう。『死に至る病』は次のような一節から始まっています。
「人間とは精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である。自己とは何であるか。自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている」
ここには、『死に至る病』の重要なテーマが表れています。
まずは、「人間は精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である」の部分です。ここで、キルケゴールは、人間を精神と定義し、さらに、この精神を自己であると定義しています。
ここでの「精神」とは、一般的な「心」とは区別される。
もともと精神という言葉は、キリスト教的な文化において、聖書の「聖霊」と関連した概念であり、人間の霊魂の根底で神を交わり、永遠者・無限者としての神への意識に目覚める働きをなすもの
しかし、この精神は、上述の引用で言われているように、人間という有限者に備わったものです。それゆえ、ここで、有限な存在者が無限なる神への意識を持つという矛盾が生じることになります。
すなわち、永遠者への意識を持ちながら、現実には有限者である「自己」にとって、みずからが「永遠者」となることが課題として課せられることになるのです。
よって、先の引用の残りの部分である「精神とは自己である」という部分で表されているのは、
精神は「永遠者」になるという課題を自分自身の課題として自覚する自己である
この課題を現存する単独の自分自身の生き方を通して実現してゆこうとする自己である
ということです。
そして、このような意味での「本来なるべき自己」になっていない状態、自己の本来の姿を見失っている自己喪失の状態にあることが「絶望」と呼ばれる状態です。
「絶望」とは、身体の死に対する不安ではなく、精神としての自己、人格としての自己を失うことを意味しています。
すなわち、自己が生きる上で、どのように生きるかを見失うことが身体の死よりも恐ろしい事態なのです。
しかし、同時に、自然的な身体の死や、精神である自己が自由な行為によって永遠へと生成していくことができる人間だけが「絶望」できます。すなわち、この「絶望」は、人間の偉大さや高貴さを表す徴表ということになります。
そして、この「絶望」を乗り越えるためには、この「絶望」がいかなるものなのかを詳細に研究する必要が生じます。この課題を成し遂げることが『死に至る病』の究極目標です。
さて、ここまで「人間」と「精神」と「自己」、そして「絶望」の関係を説明してきました。そして、この「絶望」を乗り越えるために、「絶望」とはいかなるものなのかを明らかにするという課題が提示されました。
ここからは「絶望」がいかなるものかを明らかにするために、冒頭に上げた引用文の残していた部分を読み解いていきます。
残されていた部分は「自己とは何であるか。自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち、関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている」です。
ここで注目するべきなのは、「自己」が「自己自身に関係するところの関係」であるという部分です
自己とは私たちは、普段何気なしに「自己」という言葉を理解している。それは「この」私のことであり、他の人間ではなく、そのような他者に関わる存在者である。
しかし、この自己とは、「具体的にどのような存在なのか?」と問われた時にどのように答えればよいのか?
大抵は、「私のことだよ」だったり、「あなたにとっての私のことだよ」と答えるであろう。
しかし、これでは「自己とは何か」という問いに具体的に答えられているとは言い難い。
なぜなら、そのように答えられた「自己」が結局は、どのような存在者なのかの定義を与えることができないからである。
キルケゴールは、このような問いに対して、「自己」を「自己自身に関係するところの関係」であると定義して応答します。この関係は、人間の持つ「有限性と無限性」の関係を表しています。
すなわち、以下のような結論に帰着します。
人間は、精神として絶対者への意識を持っている(無限性)であると同時に、身体を持ちいずれ死にゆく存在者(有限性)である。
このような、二つの性質を持ち、かつそれらのどちらかに傾くことなく生きていることが真の自己のあり方となる。
キルケゴールの言葉でいうと「この関係をみずからの自由な責めによって総合していく」ような仕方で生きていくことである。
そして、この「絶望」を乗り越えるためには、このような自己自身のあり方を自覚し、自己らしく生きるために神を信仰しなければならないというのがキルケゴールの結論です。
引用元リベラルアーツガイド