「色即是空 空即是色」
般若心経の教えは、宇宙の真理とも言われてます。
「色即是空 空即是色」を「新実存主義」で解釈すると、モノがある、世界があるのは自己の認識よるもので、自己がなくなればモノや世界はなくなる。だから、モノや世界があるということと何もないということは違うことではないということになります。
「新実存主義」の核心が「色即是空 空即是色」と重なります。
釈尊が悟られた核心が「色即是空 空即是色」ではないかと私は思っています。
釈尊の悟りと「新実存主義」の核心が一致していることで「新実存主義」が仏教においても正しい主張だと感じることが出来ます。
曹洞宗の僧侶の方とメールのやり取りをする機会がありましたので、その時のことを含め、少し書いておきます。
仏教にはいろいろ沢山の宗派があり、それぞれに教えが違います、
例えば、浄土真宗では人が息を引き取るとすぐに阿弥陀様が浄土に連れて行き、仏として生まれ変わらせると言われていますよね。
この教えは「新実存主義」とは相容れないものです。
それに比べ、新実存主義で言っていることが曹洞宗の教えに近いなと思いました。
「曹洞宗の教えは、釈尊の教えそのものです。」
「釈尊は、死後の事は一切説いておられません。」
「「死んだら灰になり、やがて土に歸るだけ」」
「今を見つめて、今を精一杯生き抜く。」
「生死一如」 「命あるもの、「生老病死」(四苦)は避けられない」
「自己へのとらわれを忘れること」
「自己の身と心、他人の身と心を、自由の境地にさせること」
曹洞宗の断片的な言葉ですが、新実存主義で言っている言葉と内容的に重なります。